大仏で知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は世界最大の木造建築物です。
天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)建立の勅願を発令しその大仏を安置する寺として国力を挙げて造営されました。天平勝宝4年(752)に大仏殿が完成。以降次々と堂塔が建築され40年近くかかって寺観が整いました。
都が長岡京へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしまいました。
重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱でわずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものです。
〒630-8587 奈良市雑司町406-1
TEL:0742-22-5511 / FAX:0742-22-0808
寺伝によると629年高句麗の僧慧灌が、この地に寺を建て文殊菩薩像を安置したのに始まりその後天平7年(735)聖武天皇の時、
平城京の鬼門鎮護のため、堂塔を造営されたと伝えられています。京都から奈良への要路にあたるため、治承の兵火で戦火をこうむりましたが西大寺の叡尊上人により、
文殊の霊場として復興され、庶民救済の文殊会を盛んに開くようになりました。
鎌倉期の優美な建築様式をもつ楼門(国宝)が残っています。楼門の奥正面に立つ十三重石塔(重文)は高さ約14.2メートル。
石仏を彩って咲く春の山吹、秋のコスモスなどが美しく、花の寺としても有名です。
〒630-8102 奈良市般若寺町221
TEL:0742-22-6287 / FAX:0742-22-7257
【最寄り駅】 JR・近鉄『奈良』駅
【駅からの交通】 市内循環バス『大仏殿春日退社前』下車徒歩5分
〒630-8212 奈良市春日野町飛火野
東大寺、興福寺、春日大社などに囲まれた奈良公園の一角に位置し、平成7年(1995)には開館100周年を迎えた歴史ある博物館です。 仏教と関わりの深い古美術品や考古遺品などの文化財の展示を通して仏教への信仰が生み出した優れた美術の魅力と、その背景にある豊かな歴史・文化について知ることができます。
〒630-8213 奈良市登大路町50番地
TEL:0742-22-7771
奈良公園の入口にあり奈良観光の出発地で多くの人が行き来している。広い境内を持ち、境内には東金堂、北円堂、南円堂、五重塔、三重塔、中金堂、講堂、国宝館らが建っている。
猿沢池から見る五重塔の美しさは奈良を象徴する風景でしょう。東金堂の堂内には東金堂の本尊、薬師如来を中心に数多くの仏様が祀られて居る。
〒630-8213 奈良市登大路町48
TEL:0742-22-7755
奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360メートルの池。 興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良八景のひとつとなっている。 興福寺が行う「放生会」の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工の池で、放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式である。
〒630-8213 奈良県奈良市登大路町猿沢49
寺伝によれば天平19年(747)に光明皇后が聖武天皇の眼病が治るように行基に建立させ七仏薬師如来を安置したといわれています。
かつては七堂伽藍が整った由緒ある寺院でしたが現在は本堂〔国宝〕だけが残っています。
東門・南門・鐘楼・地蔵堂はいずれも鎌倉時代の建造で重文に指定されています。また「萩の寺」とも呼ばれ、境内全体に高畑独特の静かなムードがただよっています。
本尊木造薬師如来坐像(国宝)とそれを囲む等身大の塑造十二神将立像〔国宝〕が有名です。
〒630-8301 奈良市高畑福井町1352
TEL:742-22-3736
標高295mの御蓋山全域の山林部と、社頭から西方、飛火野、雪消の沢一帯の芝原、若宮おん祭の御旅所(おたびしょ)から一の鳥居に至る参道の地帯を含む平野部で、これら全域は昭和六十年国指定の史跡である。
◆ 拝観時間 午前9時~午後4時 ※諸祭事の際変更あり
https://www.naranet.co.jp/kasugataisha/
標高約342m、全山芝生におおわれ、おわんを伏せたような愛敬ある姿で古くから愛され親しまれてきた。
丸い丘が3重に連なっていることから、かつては三笠山と呼ばれた。意外なことにこの山は古い火山で三笠山安山岩と呼ぶ火山岩からできているそうだ。若草山頂上には、これも意外であるが古墳が築かれている。
鴬(うぐいす)塚古墳といい5世紀の前方後円墳。全長約103m、墳丘は2段に築成され家型・舟型・円筒埴輪などで飾られていたそうだ。
清少納言の『枕草子』に記されている「うぐいすのみささぎ」はこの古墳のことという。山頂からの眺望はすばらしく360度、古代史の舞台を見わたすパノラマ展望台である。
若草山山焼き火の行事が多い大和でも、もっともダイナミックなもの。由来は東大寺と興福寺の境界争い、牛鬼と恐れられた妖怪鎮めなど諸説ある。牛鬼の正体は分からないが、鴬塚古墳が江戸時代に牛墓と呼ばれたことと関わりがあるのでは?と考えられている。
TEL.0742-22-0375 奈良公園管理事務所
680年(天武9)、天武天皇が鵜野讃良皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して造営が始められ、18年後に完成した。寺は当時の都・藤原宮に造られたが、平安遷都に伴って現在の地に移された。裳階を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは「龍宮造り」と呼ばれて賞された。
しかしその後、幾度かの火災で次々に焼失し、創建当時の姿をとどめるのは東塔のみとなった。
鎌倉時代や江戸時代に幾度かの再建が行われたが中でも昭和51年、創建当初の様式のままに金堂が、昭和56年には西塔が再建。実に453年ぶりに東西の両塔が新旧の対比を見せながら西の京の空にそびえることになった。新しく再建された建物は朱と緑の彩りも絢爛として、天平の昔が偲ばれる。
西塔の方が東塔より2.4m高く、屋根の勾配はよりなだらかである。
〒630-8042 奈良市西ノ京町457
TEL:0742-33-6001